第二十話 源頭を目指し (上)

花崗岩で覆われた 鈴鹿山脈一帯の渓は 極限までに透き通り
深い滝壷の奥さえも 手にとるように覗き込める。
枝谷の流れを 幾つか跨ぎ 迷い易いルートを高みへと進む
入り組んだ多くの谷にも 昔ながらの居着き岩魚が生息するが
この水量では 良い形を望む事は叶わないだろう そんな流に
気を惹かれてしまうと 迷宮へと迷い込みかねず 入渓時には
同行者から 目を離すことが出来なく 最後尾で見守る事と成る

終戦後の一時代 この地で生きた 猟師 樵 が開き通った
このルートも 今ではもう不鮮明で 其れを知る者さえ 僅かと
成ってしまった。
幾つかの 細流を跳び越し 木々の間から青空を感じ出した頃
若い木々に覆われた峠へと立つ   足元から切れ込んだ谷を
見下ろすと 遥か彼方に今回目的の 大支流出会いを眺める
事が出来た。
峠から暫らくは 九十九折れで降る明瞭なルートは 右岸へと
落ちる 黒く暗い滝が奥に覗く谷を見送った辺りから とうとう
見失ってしまう ここいらはゴツゴツした岩場に 太い石楠花の
群生する処で 春の一時期とも成れば グレーとモスグリーンに
支配された景色の中で 控えめなピンクの花をつけ 何とも
慎ましやかで 美しい物だ。

峠から出会いを望む<1983>
花崗岩と砂岩が崩れ 埋め尽くす白い谷は 大水が出るその都度 川岸を洗い削り取って行くのか
変化を繰り返す その昔枝谷上に掛けられた 丸太を数本組み合わせた橋さえ 残るは一本だけと
成り 其れさえ風雨に晒され やせ細り今は面影さえ残して居らず 利用する事も出来ない。

出会いも近く成り出すと 両岸の傾斜も緩く成り 青空向けて開け明るい雰囲気へと変わリ出して
此処まで来ると 開放的な気分に浮かれてさえ来るものだ
其の先で 一度谷は右に振れ 再度大きく左に行き先を変えると 間も無く目的の大支流へと出会う
今まで辿ったルートの 白く明るい姿とはガラリと様相を変え 黒い岩石が目立つ 重苦しささえ
漂う渓で 出会いに座る 黒く磨かれた大岩が 此の先の渓相を語りだす。
其処で アプローチ用の身支度を遡行用に
素早く変え 切れ上がる両岸から吐き出される
流へと第一歩を踏み入れた! 太目の雑木が
適度に生茂り 谷床は薄暗い 

何時訪れる事に成ってもこの渓は 表情を
変える事も無く迎え 釣人の心をときめかせて
呉れる 其れは子供心に憧れた 近所の
お姉さんの前でドキドキさせた感情と 何処か
似ているような思いがしては 苦笑いする
老いる事を知らない自然は 薄化粧を落とす
位の変化のみで 何時も其処に在り迎えて
くれる 人と自然界の過ぎ去る時間には
残酷なまでに 其の速さに差を残す。

”クックッ” 釣人が訪れるのは稀な事で
渓魚の当りは 幼稚で明確な物と成り 
コッパアマゴが 胸元に飛び込んで来る

最源頭周辺の一滴<1983>
この流域へと初めて足を踏み入れた時代 晩秋ともなると 駆け上がり辺りの浅瀬では 川底さえ
見え無く成るほど群れた 岩魚の姿を眺める事も出来た物だが 今は下流部中心で漁協が熱心に
アマゴの放流を続けた事で 人工物の一切残らないこの谷何時の間にか先住の岩魚を駆逐しては
取って代わりつつあるようだ! 昼食用のアマゴを幾つか絞めながら 源頭を目指す。

谷巾一杯の流水を 一気に壷に落とす 見応え有る滝へと出会う 私がまだ若く 無鉄砲だった頃
初めてこの滝に対した日 深く暗い 得体の知れない雰囲気の中で 帰路の時間も忘れ何時までも
竿を振り続けたものだった しかし 毎年のように起きる大水は壷を土砂で埋めては 脆弱な姿にと
変えてしまった この滝は 左岸に明瞭な踏み後が残り それを辿ると 難なく滝の頭へと立つ・・・
其処から続く渓相は 大石が連なり 魅惑的なポイントの連続に 遡行のピッチは遅れ気味と成る
何時も此処で一息入れる 背嚢を放り出し足元のチェックを始める ”お〜っと やはりおったか!”
スパッツ上で ユラユラ揺れる山ヒルを確認! 昔程では無いのだが此処はヒルの巣で 気を付けて
居ないと 針のように身を細くし 衣服の繊維を掻き分け 気がつかないうちに 血の海なんて事さえ
有る 塩が有効と云われるが 水中に浸り遡行を進めるには無理な注文で こまめのチェックが必要
と成る  近くの枝を折ると 絡め取り外し 流へと放り込んだ。

酔いどれ渓師の一日 第二十一話 源頭を目指し(下)へ続く。

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